縁起

弘法大師空海ゆかりの
古刹・長楽寺

相模川の河口、須賀の地に建つ高野山真言宗・総本山金剛峯寺の末寺、海詠山長楽寺。『新編相模国風土記稿』によると、後に高野山 真言宗の開祖となる空海が青年のみぎりに関東を巡錫し弘仁10年 (819)に当・須賀の地に滞在したことに当寺の起源があると伝えられています。

その後の鎌倉時代、空海止宿の霊地に、開山の祖である僧・鎮海が草庵を結び「海詠庵」と称して居住。さらに建保3年(1216)に僧•朝秀が一宇を中興し、庵号を「海詠山」としました。それから約800年の間、高野山の直末寺として大いに栄え、十三ヶ寺の末寺を配し三島神社の別当も務めたとされます。

明治期以降も連綿と法灯が継がれてまいりましたが、第2次世界大戦末期の昭和20年(1945) 7月、平塚の地は空襲を受け、長楽寺も塔堂伽藍のほぼすベてを焼失してしまいました。その後、寺の運営は困難を極めましたが、檀信徒による復興への願いが叶い、平成24年(2012)には、新本堂などの伽藍が見事に再興されました。

相模の国を代表する真言宗寺院である長楽寺。毎日、平塚をはじめとした多くの市民の方々をお迎えしております。

平成の大復興事業
~67年ぶりに長楽寺の伽藍~

第2次世界大戦末期の空襲による焼失後、長楽寺は伽藍再興の機会に恵まれないまま戦後60余年の時が過ぎました。しかし復興を望む檀信徒の熱意が実り、平成20年(2008)、本山•高野山の推挙により新住職を招聘。同時に「平成の大復興事業」に着手しました。新たな本堂である「金堂」、寺務所や集会所として使用される「金剛閣」、住職の住居となる「庫裡」などの建設が進められ、ついに平成24年(2012)に完成しました。

長楽寺•檀信徒の長年の悲願であった新本堂は、多くの建築家や宮大工、職人の力で見事に蘇り、金色に輝く美しさから「金堂」と命名されました。伝統的な寺院建築の技法と最新の設計思想を導入して造られた金堂は、総桧造り•八間角の堂々たる建造物。重厚な日本瓦が葺かれた大屋根、大胆な木組みで造られた建屋、精緻な彫刻が施された向拝などから成る美しい姿が目をみはります。

堂内には薬師瑠璃光如来像をはじめ、真言密教の教えを説く諸尊で荘厳されている一方、建物全体にバリアフリーや耐震構造が導入され、エレベーターも設置されるなど、現代の寺院としてふさわしい建築物となっています。

住職・副住職のご紹介

長楽寺住職
長楽寺住職高橋智運
平成20年4月8日、本山の推薦により、相模の名刹・長楽寺の住職を拝命いたしました。
檀信徒の皆様には、お見知りおきのことと存じますが、改めてこの場を借りてごあいさつ申し上げます。
この相模の地で皆様と共に長楽寺を再興いたしますことが私の使命と決意しております。
それには皆様方のご協力が無くしては不可能です。当山をその由緒に恥じない寺院にして、子々孫々にお伝えしていきたいと思います。
長楽寺副住職
長楽寺副住職高橋智道
私は、副住職の高橋智道と申します。
もとより浅学菲才の身ではございますが、檀信徒の皆様の期待に沿うよう精進してまいる所存でございます。
長楽寺へのご参拝心よりお待ちしております。

交通案内

徒歩やお車でお越しの方

JR東海道線「平塚」駅•南口より、徒歩15分、タクシー 5分 バス

住所
〒254-0802 神奈川県平塚市札場町15-42

バスでお越しの方

JR東海道線「平塚」駅•南口より、バス•須賀港行乗車「須 賀四つ角」下車、すぐ

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